月ノ下 狸櫻 のブログ

爽やかで前向きな気持ちになれる話が好き

鳥山明先生安らかに

鳥山明氏が2024年3月1日に急性硬膜下血腫のため急逝されたとのこと。

私も世界中のファンとともに、驚きを隠せませんでした。

Dr.スランプ」のリアル世代だった私ですが、そこまでガチなファンだったわけではなく、全話隅々まで気合を入れて見ていたわけではありません。

しかし、鳥山氏の描く世界は確かに一時代を築くとともに、私の想いもその世界観から影響を受けたことは確かです。

私が言うまでもないことですが、鳥山氏のその独特な画風はシンプルでありながら、明らかに鳥山氏らしさがあり、一時代に名を残す人とは、こういう人なのだろうと思いました。

特に私は、車やバイクと一緒にキャラクターが活き活きと描かれている絵が好きでした。

たった1枚の絵を見ているだけで、そのキャラクターと一緒にウキウキ、ワクワクといった気分になり、ピカピカのマシンに跨って冒険に出かけようか、そのような気持ちにさせられました。

鳥山氏の早すぎる死には悲しみを隠せませんが、氏の描いた作品から伝わる想いを噛みしめながら、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

マイナス金利解除と日々の暮らし

 植田和男日銀総裁は29日(日本時間1日)、20カ国・地域(G20)財務相中央銀行総裁会議の閉幕後に記者会見し、マイナス金利政策解除の重要な判断材料となる春闘での賃上げ動向について「大企業を中心に前向きの姿勢がかなり発せられている」との見方を示した。その上で、3月以降に徐々に判明する賃上げ率の集計結果を確認しながら「ヒアリング情報などを加えて、各会合で議論していく」と説明した。

 

 私は金融の専門家ではなく、むしろ程遠いので、株高も円安も金利も論理的に今、どのような状態になっているのか説明すること出来ませんが、自分自身の生活にどのような影響が出てくるかのイメージは沸いてきます。

 

 若い人には言いにくい見方になりますが、今の職場をやめて稼げるほどの強いスキルもなく年功序列の社会の中で働いてきて50歳を過ぎると、もはや給与も頭打ちだろうし、将来の年金の方が心配になる気持ちが先行します。

 

 しかし、これは考えても仕方のないことだろうとも思います。

 年金制度は破綻しないという考えについて以下に述べますが、それはよく巷で言われていることだろうと思います。また、それは年金制度の厳密な定義によるものであることは単純な話です。

 

 年金を運営する主体から見れば、歳入と歳出のバランスをとるだけだということになるのでしょう。

 乱暴な言い方をすれば、入ってくるお金が半分になって出さなければならない方の頭数が倍になっても、出す方の単価を4分の1にすればバランスがとれる。

 しかし、実際に出す方の単価を4分の1にするのは恰好が悪い。ではどうすれば(どうなれば)良いか?

 それは単純に物価が高くなれば、年金の絶対的な金額を下げなくても実質的な金額を下げるのに等しい効果になるから良いということになるのかな?

 

 年金をもらう方にしてみればたまったものではないのですが、かと言って若い世代に負担をかけるわけにもいかなくなるのも自明ですし難しい課題です。

 

 少なくとも、のんびりと老後には年金暮らしなどできる状況ではなさそうだということだけはわかります。

 何んとか年寄りなりに稼ぐ方法を見つけたいと考える一方で、健康さえ損なわなければほっそりと生きていくのも悪くないとも思います。

 結局、先週の記事と同じ話に行きつくのですが、自分なりのスキルを身に着けながら、健康で楽しく生きられる方法を見つけていければ良いのかなという結論となります。

追憶の田園風景(ある用地交渉の日)

 爽やかな晴天の夏の日、私は一人、とある地方集落のローカル線の新駅に降り立った。田んぼの中を真っすぐに走っている無電化の狭軌軌道は、日本の原風景と言えるような鄙びた眺めだ。そして、私にとって最も馴染みのある眺望の一つだった。

 正確には、その風景の半分はと言うことになる。その駅の周辺には住宅地開発の計画があり、東口は既に土木工事が行われている。小さな駅前広場と、そこに隣接する駐車場、コンビニエンスストアの予定地の他は、なんの変哲もない地方の住宅地である。ダンプカー2,3台とブルドーザーが砂埃を立てながら工事をしている。他に目立つものはなく、青い空の下には、夏らしいくっきりした白い雲が緩やかに風に流され、時より風が強まると稲や雑草の葉擦れの音が聞こえる程度である。

 今日、私がこの駅に降り立ったのは、他でもなく、西口で開発に反対している地権者の説得のためである。村役場に採用されてから十数年、用地係だけでも六年目で用地係長となった私は、周囲からの信頼も得て、交渉事も一人で行うようになっている。しかも、この地は私の地元で、周辺の田んぼは幼い頃の思い出の遊び場だ。

 西口は未だ工事に着手できておらず、田んぼはそのままだったため、私はいつものように、田んぼ外れの里山のふもとにある地権者の家まであぜ道を歩いて行くこととした。

 もう、この地権者の家に来るのは何回目だろうか。そして、最初は強行に反対していた老爺が、前回言ったことを思い出していた。

「わしゃあ、この年までずっとここで生まれ育っての、役場の決めた計画に反対する気はなかったんだども、どうすても賛成はできねくての。亡くなったかかと一緒に手入れした田んぼが思い出なんじゃ。どうせすぐにかかのところさ行くだろうから、せめてそれまでの間、待ってくんなし」

 その言葉を聞いたとき、私も妙に得心してしまった。そう言えば、幼い頃にこの田んぼでドジョウ掬いをして遊んでいた頃、この風景を壊すものは許さない、自分がこの田舎を守るなどと幼心に決意したことを思い出す。そんな私が用地係とはなんとも皮肉なものだ。

 あぜ道わきの水路に目をおとすと、キラキラした水面の下に太ったドジョウが数匹逃げ泳いで行ったのが目に入った。朝晩にはカエルの鳴き声もうるさいだろう。ふと、幼い頃の私が、真っ黒に日焼けして、泥んこになりながら、手持ちの網を片手に振り上げ、ドジョウがいたぞと友だちに向かって大声を出している姿が見えた気がした。

 地権者の家についたときには、これまでの悩みもふっ切れ、近所の悪ガキだったことを白状し、田んぼの思い出話でも聞かせてもらえればありがたいと思うに至っていた。

日経平均株価 34年ぶり、バブル期超え 2024/2/22

2024年2月22日、日経平均株価終値が1989年12月の終値である3万8915円87銭を超えて史上最高値を更新しました。

 


 バブル期は、学生でしたが、感慨深いものがあります。

 もっともバブル期には、株式投資などしておりず、地方で暮らしていましたので実感は少なかったです。

 バブル期と言えば、MAXIMIZORの「CAN'T UNDO THIS」という曲に合わせて、お立ち台の上で羽扇子を振っているお姉さん方の絵面を思い出してしまうという、なんともステレオタイプの発想が先立つ一員です。

 

 株式投資については、その後'90年代のインターネットバブルの頃に手を出していました。最も思い出深いのは、エイベックス株です。小室哲哉の曲を聞きなから、次はこれが来るという直観があったのがきっかけです。この直観は、世間よりは少しだけ早かったこともあり、中期的にはあっていましたが、長期的には間違いだったのかもしれません。店頭公開の頃、7千円台の頃になけなしの貯金をはたいて買った株が、あれよあれよという間に、2万円台になり、1:2の株式分割で1万円台に戻した記憶があります。

 単位株が100株でしたので、分割となった100株だけ売って利益確定させたときが、人生で一番、手元に現金を持っていたときでした。ちなみの、そのお金は別な、様々な株に手を出して、全て失ってしまいました。

 そして気が付けば、預金はマイナス。その後、結婚を機に株式売買からは一切手を引いて。エイベックスの100株だけをお守り代わりに20年以上持ち続けています。最近の株価は千円台をウロウロしている感じですね。

 

 私の青春時代を彩ったミュージックシーンとの思い出とともに、日経平均株価のニュースを見ると、改めて感慨深いものがあります。

 しかし今後、私は基本的に、株式売買はしないで行こうと考えています。まあ、何かのポイントや余剰金があれば、リスクヘッジのために持っておくのも悪くないとは考えていますが、利ザヤを狙った投機では勝てる気がしません。と言いますか、一個人の情報量で感情的にならずに利益を出すのは投資効率が悪いと感じています。どうしてものめり込んでしまうところもあります。

 

 そこで、今後の株価についても、暖かい目で見守り、決して羨んだり溜飲を下げたりとはならないような心持で行きたいと思います。

 投資すべきは金銭ではなく、時間を技術向上や知恵の蓄積といった財産に回したいと考えております。いや、その前に、健康とか家庭かな。汗

 

今週のニュース(フォルダ説明)

毎週、気になったニュースをチョイスして、ブログを書いていきたいと思います。

ニュースの内容や繁閑により内容の軽重が出てくると思いますが、週一アップをノルマにします。